アメリカのワシントン・ポストが令和3年(2021年)12月3日、ロシアが大規模なウクライナ侵攻を計画していると報じ、令和4年(2022年)1月23日時点では、ロシアがウクライナ国境周辺に推定10万人の軍隊を展開。ウクライナは危機的状況に陥っています。
一体なぜロシアはウクライナに戦争を仕掛けようとしているのか、ロシアとウクライナの政治的情勢をなるべくわかりやすく解説したいと思います。
目次
- 1 ロシアがウクライナを狙う理由
- 2 ウクライナとロシアの関係がこじれた理由(両国の歴史)
- 2.1 1917年~ ロシア革命。ウクライナ人民共和国樹立。
- 2.2 1922年~ ソビエト連邦樹立。再びウクライナ征服。
- 2.3 1932年~ ソ連、人工的大飢饉を仕掛けウクライナ人を虐殺
- 2.4 1991年~ ソ連崩壊、ウクライナ独立。
- 2.5 1994年~ ウクライナ、核不拡散条約に加盟(ブダペスト覚書)
- 2.6 2004年~ オレンジ革命
- 2.7 2010年~ ヤヌーコヴィチ氏が大統領に就任
- 2.8 2013年~ ウクライナ-ロシア間協定
- 2.9 2014年~ ロシアによるウクライナ侵攻
- 2.10 2015年~ 停戦合意(ミンスク合意)
- 2.11 2020年~ 停戦合意
- 2.12 2021年~ ウクライナのNATO加盟が濃厚に。ロシア軍10万人が国境付近に集結。緊張高まる。
- 2.13 2022年~ さらに緊張が高まり、現在に至る。
- 3 終わりに
- 4 関連リンク
ロシアがウクライナを狙う理由
ロシアがウクライナを狙う理由は簡単に説明すると3つです。
地政学的理由
ウクライナは東ヨーロッパの中央部分に位置し、ロシアを除けば面積ではヨーロッパの中で最も大きな国家です。
ロシアと欧州各国が争う時に必ずウクライナを通らなければならないため、戦略的・軍事的な面から見て非常に重要な地域と言えます。
農業大国
ウクライナの青と黄の国旗は青空と小麦畑を意味し、実際に「ヨーロッパの食糧庫」と呼ばれたほどの農業大国です。ロシアのように気候が寒冷な国家は、ウクライナのような国を支配しない限り、食糧自給ができないとも言われています。
思想的問題
ロシアのプーチン大統領は共産主義的思想を持っている可能性が高いと言えます。
国歌を歌詞だけ変えてソ連国歌に戻したり、「ソ連崩壊は露歴史の最大の悲劇」「スターリンは偉大な指導者だった」という発言があります。
実際にソ連時代のプーチン氏はKGB(ソ連国家保安委員会)職員であり共産党員でもありました。KGB職員になるためには共産党員でなければなりませんが、KGB退職後も平成3年(1991年)8月の共産党解体まで共産党を離党しませんでした。
当時のソ連の共産主義者の間では世界革命論という陰謀論のような思想が実際に提唱されており、その思想は徐々に否定されていきますが、スターリン政権下でも「理想」として維持され、昭和4年(1929年)時点においてもコミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の究極目的は世界共産主義であるとされていました。
本当にプーチン大統領が共産主義的思想を持っているとすれば、他国に干渉し侵略行為を実施する事はある意味納得できると言えます。
ウクライナとロシアの関係がこじれた理由(両国の歴史)
ロシアがウクライナを狙う理由はなんとなく分かったので、次は、ここまで関係がこじれた流れを説明します。
1917年~ ロシア革命。ウクライナ人民共和国樹立。
ロシア帝国により長く占領されていたウクライナでしたが、ロシア革命によりロシア軍の力が弱まった事により独立できました。
1922年~ ソビエト連邦樹立。再びウクライナ征服。
なんやかんやで再びウクライナがソ連に征服されます。
1932年~ ソ連、人工的大飢饉を仕掛けウクライナ人を虐殺
「かつてのロシア帝国によるウクライナ人同化政策の失敗はウクライナ人が多すぎたためだ」とソ連では考えられていました。この問題を解決する為にスターリンはウクライナ人口減少政策として「ホロドモール」という人工的な大飢饉を起こす計画を実行しました。昭和7年(1932年)~昭和8年(1933年)にかけてウクライナ人を強制移住をさせ、家畜や農地を奪い、400万人~1450万人のウクライナ人が虐殺されました。また、600万人の出生が抑制されました。※ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の犠牲者数が約600万人。
そして、虐殺または強制移住させられたウクライナ人の代わりにロシア人がウクライナの土地に入り込むようになりました。「ウクライナ東部は親ロシア派が多い」「ロシア人が多い地域もあるからもともとロシアの土地なんじゃ?」という意見をよく聞きますが、ロシア人が多い理由として、このような歴史的背景があるのです。
1991年~ ソ連崩壊、ウクライナ独立。
ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴いソ連が解体。15の国と地域が独立し、ウクライナも独立しました。
1994年~ ウクライナ、核不拡散条約に加盟(ブダペスト覚書)
ウクライナは核不拡散条約に加盟し、ロシアなどからウクライナに対し、軍事力の行使や武力による威嚇をしないとの約束を取り付け、代わりに国内の全ての核兵器をロシアに譲りました。
また、当時100万人いた軍隊を20万人まで軍縮しました。さらに、中立を維持し大国同士の戦争に巻き込まれないように、NATO等の軍事同盟には一切加盟しませんでした。
2004年~ オレンジ革命
親ロシア派のヤヌーコヴィチ氏と欧州への帰属を唱えるユシチェンコ氏の大統領選挙にてヤヌーコヴィチ氏が勝利しましたが、ユシチェンコ氏の支持層が不正選挙だったと主張し始めました。運動が広がり世界各国が報道し、大事件へとなっていきました。ロシアの支持を受けたヤヌーコヴィチ氏は既成事実化しようとしましたが、再度投票が行われた結果、ユシチェンコ氏が勝利しました。
2010年~ ヤヌーコヴィチ氏が大統領に就任
経済危機が続いていたウクライナでは多くの国民が「経済危機は資本主義のせいだ」と思い込んでおり(年配の人々は人生の多くを共産主義政権下で過ごしていた影響もあった)、ソ連復活を目指す政党の支持率が上がりました。
その結果、平成22年(2010年)の大統領選挙では親ロシア派のヤヌーコヴィチ氏が勝利。ヤヌーコヴィチ氏は即座にユシチェンコ氏を逮捕するように命じました。
さらに、この年はソ連時代から残っていた一部のロシア軍基地(クリミア半島にある)からロシア軍が撤収する予定でしたが、親ロシア派であったヤヌーコヴィチ氏はロシア軍の駐留期間を2030年まで延長しました。
2013年~ ウクライナ-ロシア間協定
平成25年(2013年)11月21日、ヤヌーコヴィチ氏はEUとの自由貿易協定に署名するための準備を布告しており多くのウクライナ人は喜びましたが、その後、ロシア大統領のプーチン氏に相談した後、意見を正反対に変え、EUとの自由貿易協定を白紙に戻しロシアとの自由貿易協定を締結しました(同年12月17日)。
これに怒りを覚えた学生約100名がデモを起こしましたが、ヤヌーコヴィチ氏の命令により全てのデモ参加者が警官により暴行を受け逮捕されました。この異常事態に触発され、翌日には100万人のウクライナ人が抗議に参加しました。ヤヌーコヴィチ氏は、抗議運動に対し親ロシア派の警官を多数動員し(西ウクライナと中央ウクライナの警官たちは命令を拒否)、ウクライナ人100人以上が射殺されましたが、抗議は止まりませんでした。ヤヌーコヴィチ氏は軍隊を送ろうとしましたが、ウクライナ軍は中立宣言を出し命令に従わず、軍隊から見放されたヤヌーコヴィチ氏は同年12月22日に首都キエフを脱出、そのままロシアに亡命しました。
※抗議運動にはアメリカやEUが支援し、ヤヌーコヴィチ政権にはロシアが支援していました。
2014年~ ロシアによるウクライナ侵攻
ヤヌーコヴィチ氏の亡命後、新しい大統領が選ばれるまでの間を狙ったかのように平成26年(2014年)2月、ロシアによるクリミア半島侵略が開始されました。世界各国はロシアの軍事介入だと非難しましたが、ロシアは民主的な選挙でクリミアはロシアの一部となったと主張しました。しかし、ロシア侵攻後の実際の選挙では投票所を武装したロシア軍が取り囲み、ウクライナ系住民を投票所に行かせなかったり、投票に必要な身分証明書を奪ったりし、さらに集計や結果発表もロシア軍によるものでした。
日本、EU、アメリカはロシアに対し経済制裁を実施しました。
同年4月17日にウクライナ-ロシア間で停戦協定により停戦が宣言されるも、同年4月23日にロシア側からの襲撃により停戦は破られました。
同年9月にも停戦合意が結ばれますが、これもロシア側からの攻撃により破られています。
2015年~ 停戦合意(ミンスク合意)
平成27年(2015年)2月15日、ウクライナ・ロシア・フランス・ドイツの4カ国首脳会議が行われ、ウクライナ-ロシア間の停戦協定が結ばれました。しかしその後もロシアからの攻撃は止まりませんでした。
2020年~ 停戦合意
ウクライナと親ロシア派武装勢力との間で停戦合意が結ばれるも、、、(以下略)
2021年~ ウクライナのNATO加盟が濃厚に。ロシア軍10万人が国境付近に集結。緊張高まる。
令和3年(2021年)10月、ウクライナ-ロシアの国境付近に10万人のロシア軍が配備されました。同年12月10日、ロシアはNATOに対し、ウクライナの加盟予定を撤回しロシアの隣国に兵器を配備するなと求めましたが、NATOはこれを拒否し「ロシアがウクライナを侵攻すれば代償を払うことになる」と警告しました。
2022年~ さらに緊張が高まり、現在に至る。
在ウクライナ米大使館家族への退避命令をだし、在ウクライナ日本大使館も一部非難を開始しました。緊張が高まり、現在の状況に至ります。
終わりに
日本人の感覚からすれば、「なんで仲良くしないの?」と思うかもしれません。しかし、ウクライナは何度も対話を試み停戦合意を結びますが失敗しています。ロシアは仲良く話し合える相手では無いのです。
「プーチン大統領が愛犬家」だとか、「日本のアニメが好きなロシア人が多い」などのイメージにより、近年日本人のロシアに対する感情は軟化しており、「ロシア大好き!」という人が増えてきているように感じます。しかしロシアはこういう国です。
かつて、日ソ中立条約を一方的に破棄し日本人を軍人・民間人問わず大量に虐殺した頃から何一つ変わっていません。彼らとの「約束」はなんら意味を成しません。合意したり約束したりして安心したところを狙ってくるような国です。彼らの軍事侵略を阻止できるものは軍事力しかありません。現実に、ロシアが最大に警戒しているのはウクライナではなく、その背後にあるNATOです。ウクライナのNATO加盟が近づいた途端に焦ったように軍事侵攻を開始しようとしている事実があります。
遠い国の出来事だと言って無関心にならないでください。ウクライナという国は、日本のために声を挙げてくれる親日国であり、友人です。
貴方が無理に声をあげなくても良いのです。ただ、知ってください。
貴方が抗議の声をあげなくても、事実を知りさえすれば、誰かと話す機会ができるかも知れません。
誰かと話す事により、その誰かが興味を持ち、声をあげてくれるかも知れません。
何もかも、まずは事実を知る事から始まります。知る事が平和への第一歩なのです。
一人でも多くの日本人がウクライナ危機への理解を深める一助となれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
関連リンク
公開憲法フォーラム ナザレンコ・アンドリー氏スピーチ「言葉で戦争を止められるなら、なぜ戦地に平和の精神を伝えに行かない?」
なるほど、そういうことですか…
とりあえず中の国の冬の運動会が終わるまではロシアは動かないとは思いますけど…
NATOとか、役に立つ気配もないし…
ノルドストリーム2が気がかり(*´-`)
ナザレンコ氏が世に知られるきっかけにもなった「憲法フォーラム」でのスピーチ。
なぜウクライナがロシアによる侵攻を受けたのかを「独立後の平和ボケ」としていましたが、歴史的にももっと根深いものがあったのですね。
twitterで時々流れてくる西尾幹二氏の朝ナマでの弁論動画。ドイツから被害を受けたポーランド人の言葉をを借りて「ロシアやドイツに侵略されたが、ドイツはロシアよりもまだ良かった、なぜならドイツには文化があるから」というのを思い出しました。ウクライナと同様、ロシアに国境を接して独露両国の侵略に遭ったポーランド人ならではの言葉ですが、隣国のウクライナのことも伝わっていたのでしょう。ウクライナ人がロシア人を信用しないのには十分に理由がありますし、もうひとつロシアがウクライナに執心する理由の一つは首都キエフは歴史的にロシア(建国以前は「キエフ公国」~から「ルーシ」と呼ばれた時代がある)にとっては中国における「中原(中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原)」に相当する地域だからではないでしょうかね?
割と国土が曖昧な時期が多かったロシアですがロマノフ朝以前の根源的ロシアの象徴たる地域と言うことはあるのではないかと思っています。
世界は太古の昔から本質的には何も変わっていない。力の論理で自国の影響範囲を可能な限り広げ、「本国」の権益(搾取と繁栄)を常に求めるものであり、経済支配だけでなく実効支配を画策するものだということを、日本人は知らねばなりません。
既に米国に蹂躙され腑抜けにされた日本は今や中国に侵食されても危機意識が恐ろしく低い(しかもそれが社会的に上位の人になるほど強い)、一般庶民は輪をかけて危機意識が低かったのですが、ネットやSNSの普及でようやく支配の力学が意識されるようになってきました。
改めて自国を守り抜くための意識改革の一助になりたいと願う我が身です。
hacciさん
おはようございます!
Twitter復活うれしいです!
いきなりシャドーパンなのでニセモノじゃないよね?と思ってしまいました(疑ってすみません)
本物ですよ~~!w
よかったー(*´∀`*)疑ってごめんなさい!またよろしくね。