平成29年(2017年)2月11日 建国を祝う集い(広島)でのナザレンコ・アンドリーさん(当時22歳)のスピーチ全文をまとめました。
とても心を打たれるスピーチです。ぜひ、文字起こしだけでなく実際の映像でもご覧ください。
ウクライナから参りましたナザレンコ・アンドリーと申します。
ウクライナと聞いても、どういう国かピンとこないでしょう。距離もありますが、実はウクライナは独立したのは、1991年でした。その前はずっと、800年間以上も他国の植民地でした。モンゴル帝国を始めに、ポーランド、リトアニア、オーストリア、ロシア…全ての占領者を思い出せないくらい多かったです。そして、外国に支配されるとはどんなことかというと
例えば、ロシアの一部だった時代に、公共の場でウクライナ語を話すことは禁止でした。ウクライナ語で授業を行う学校は全て閉口させられました。自分のことをウクライナ人と呼ぶのも犯罪でした。占領者が勝手に「小ロシア」、小さいロシアという名称を付けて、それに抵抗する者を殺していたのです。その上で、強制移住、大虐殺、民族浄化も普通のことでした。1933年に、ソ連政府が「ホロドモール」という政策を行った結果、600万人のウクライナ人が死亡したと思われます。死んだ先住民の代わりに占領者はどんどん入り込んだのです。つまり、チベット、ウイグル、北方領土と同じことをされたのですね。
21世紀になっても、ウクライナは戦場で独立を守らなければならない状態にある。2014年、クリミア半島の強奪から始まったロシアの侵略は今なお続いています。ちょうど今、私はここでスピーチをしている時に、ウクライナ東部にあるアフディフカ市は砲撃を受けています。私の出身地から戦線まで200キロメートルしかありません。ということは、最前線で戦っている兵隊さんが敗北したら、数時間で私の故郷は消えてしまいます。毎日毎日、不安で胸がいっぱいです。このウクライナの事情を踏まえて、日本人は本当に恵まれていると正直に思います。
日本は2677年の間ずっと日本のままであることができて、言語と伝統文化を守ることができたことは非常に素晴らしいことだと思います。こんなことが可能になったのは、運が良かったからではなく、何世代もの祖先たちが苦労してこの国を保護してくださったからです。感謝するとともにこの指名を受け継いで、日本人の価値観と正しい歴史認識を後世に伝えていかなければならないと思います。祖先との一体感と連帯感さえあれば、どんな強い敵の侵略にあっても、いくら戦争で負けても、国家は滅びることがありません。愛国心というものは最強な武器で最強な鎧です。核兵器にでも負けません。
当たり前なことを言ってしまうかもしれないが、祖国だって一つしかありません。大切にしないのはもったいないです。ここで、桜井よしこさんのお言葉が思い浮かびます。「国家なくして平和なし」これだけ多くの人々に理解していただければ、100年後も1000年後も日本人は本日と同じように建国記念日を祝うでしょう。ご清聴ありがとうございました。
ツイッターで「ウクライナ」と検索したら、突然に自分のスピーチの動画は出てきました :) 広島県の建国記念日を祝う集い。撮ってくださった方、ありがとうございます。https://t.co/ZKlAEhG5KW с помощью @YouTube
— ナザレンコ・アンドリー (@nippon_ukuraina) March 9, 2017
ホロドモールとは…(wikiより抜粋)
ホロドモールは1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である。アルメニア人虐殺、ホロコースト、ポル・ポト派による虐殺、ルワンダ虐殺等と並んで20世紀の最大の悲劇の一つ。ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われたために400万人から1,450万人が死亡した。また、600万人以上の出生が抑制された。
この大飢饉が当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した。また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている。
ホロドモールの主な地域は以下の通り
ソビエト連邦のウクライナ社会主義ソビエト共和国
カザフ・ソビエト社会主義共和国
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクバーニ、ヴォルガ川沿岸地域、南ウラル、北シベリアなど
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